今年もまた春がやって来た。
春と言えば桜。
私の住む東京ではまだつぼんだままの桜は多いが、
これから徐々に花開いていくのだろう。
しかし、春を目前にして無念にも咲くことの出来なかった桜があった。
ご存じ先月のダイヤ改正で消滅した、ブルートレイン「さくら」である。
この「さくら」が辿ってきた歴史を紐解いていくとこうなる。
まず、戦前の1929年に東京〜下関を走る特急列車として登場。
6年後、愛称の公募により「櫻」と命名され、
同時に愛称に決まった「富士」の相棒として、鉄路を駆け抜けた。
しかし、日本が戦争への道を歩んでいた1942年、急行列車へ格下げされると同時に愛称が消滅。
戦後の混乱期を乗り切るまで、「櫻」の名は封印されることになる。
「櫻」が再び咲き始めたのは1951年春のこと。
東京〜大阪を走る特急「つばめ」の救済処置として、臨時列車が運転されたが、
この時に「さくら」と名付けられ、徐々につぼみが開いていく。
そして、そのつぼみが本格的に開いたのは1959年7月のことだった。
東京〜長崎を結んでいた「平和」を置き換える形で、
元祖ブルートレインとして、先に登場していた「あさかぜ」に使用され、
一世を風靡した20系客車による「さくら」が登場。
A寝台や食堂車を設けたその豪華な内容から、「走るホテル」と評され、
戦後の日本の経済成長を支えていくと同時に、
旅人の憧れの的となっていった。
しかしその後、山陽新幹線などの高速交通網が急速に発達していくとともに、
「さくら」は徐々に散り始める。
1993年の食堂車廃止に続いて、1999年にはA寝台までもが廃止。
同時に東京〜鳥栖を「はやぶさ」と併結するという大リストラが断行されるも、
かろうじて咲き続けていたが、それも束の間の出来事だった。
そして、2005年3月1日、春の訪れを待つことなく、
ついに「さくら」は完全に散ってしまった。
私自身、この「さくら」には特別な思い入れがある。
少年時代、生まれて初めて乗った寝台特急がこの「さくら」であったし、
昨年、「つばめ」の交代劇を見ようと東京から乗った列車も「さくら」だった。
そう、私にとっては非常に思い出多き列車なのだ。
今後「さくら」は想い出として、人々の間で語り継がれていくことになるだろうが、
戦中、一旦は散ったものの、戦後再び返り咲いたように、
いつの日か、再び「さくら」が満開になることを楽しみに待ちたいと思う。
(写真は下り寝台特急「さくら」・2003年1月16日、JR長崎本線長崎駅にて撮影)